【判例解説】「相続される権利/相続されない権利」 最高裁昭和42年11月1日大法廷判決

弁護士 松浦 薫 (まつうら ゆき)
多湖総合法律事務所
所属 / 神奈川県弁護士会 (登録番号52876)

相続の効果について、民法896条は、次のように定めています。

「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。」

(引用)民法第896条

相続の対象とならない、「被相続人の一身に専属したもの」とは何か、判例を踏まえて、ご紹介したいと思います。

1 事案の概要

被相続人は、ある日、自転車に乗っていたところ、貨物自動車と衝突し、負傷した12日後に死亡してしまいました。被相続人の相続人は、被相続人の姉妹ら4人であったところ、そのうちの2人が、「被相続人が有していた慰謝料請求権を相続した。」と主張し、貨物自動車の運転手を雇っていた会社に対して、慰謝料分の賠償を求めたのです。

第1審の宇都宮地方裁判所と、原審の東京高等裁判所は、大審院判決(昔の最高裁判決のことです。)に則り、慰謝料請求権は被相続人の一身に専属する権利であって、被相続人が生前、権利を行使する意思表示をしていれば相続の対象になるが、被相続人は当該意思表示をしていないとして、相続を否定しました。

そこで、相続人が上告したところ、最高裁判所は以下のように判断しました。

2 昭和42年判決の概要

まず、交通事故で財産以外の損害を被った場合は、事故の相手方に対して慰謝料請求権を取得し、これを放棄したと解し得る特段の事情がない限り、これを行使することができ、損害賠償を請求する意思を表明する必要はない、としました。

すなわち、交通事故によって死亡してしまった本件の被相続人は、事故の相手方に対する慰謝料請求権を取得します。

そして、事故によって被害者が死亡してしまった場合、その被害者の相続人は、当然に被相続人の慰謝料請求権を相続する、としました。

その理由としては、①損害賠償請求権発生の時点について、民法は、損害が財産上のものであるかどうかで異なる取り扱いをしていないこと、②慰謝料請求権が発生する場合における被害法益は被害者の一身に専属するものであるが、これを侵害したことによって生じる慰謝料請求権は単純な金銭債権であり、相続の対象となり得ないと解する法的根拠はないこと、③民法711条では、生命を害された被害者と一定の身分関係にある者は、被害者の取得する慰謝料請求権とは別に、固有の慰謝料請求権を取得し得るが、両者の請求権は被害法益を異にし、併存し得るものであること、④被害者の親族は、必ずしも民法711条によって固有の慰謝料請求権を取得するとは限らないため、民法711条があることは慰謝料請求権の相続を否定する理由にはならないこと、という、4点を挙げています。

この判断には、最高裁判所大法廷の裁判官9名のうち、4名から反対意見が出るなど、最高裁判所の裁判官の中でも、かなり判断が分かれた事案でした。

3 昭和42年判決の解説

交通事故の被害者が加害者に対して請求できるものとしては、治療費や、通院のためにかかった交通費、事故の痛みや通院のために仕事を休まざるを得なかった分の休業損害などの他、「慰謝料」も請求することができます。

この慰謝料は、通常、怪我(障害)の程度や、通院・入院した期間によって金額が決まり、精神的、肉体的苦痛に対する慰謝として、被害者に請求権が発生します。

昭和42年判決が出されるまで、裁判所は、「慰謝料請求権は被害者の一身に専属するため、被害者自身が生前に請求権を行使する意思表示をすることで、初めて相続の対象になる。」という立場をとっていました。

もっとも、「請求権を行使する意思表示」については、必ずしも「慰謝料として〇〇円を払ってください。」という明確な意思表示までは要せず、被相続人が死亡する前に「残念」「向こうが悪い」「口惜しい」と口にしていた、という程度の事実で「請求権を行使する意思表示」を認めていました。

昭和42年判決以前の運用のように、「被相続人が亡くなる前に何と言っていたか」で慰謝料請求権の相続が認められるかどうかが変わるというのは、あまり合理的とは言えません。

裁判例上も、「口惜しい」は良くて、「助けてくれ」ではだめ、というように、判断基準が曖昧である点においても、問題のある運用であったと言えます。

事故後に即死してしまった場合や、意思表示もできないような重篤な障害を負ったまま亡くなってしまった場合に、「請求権を行使する意思表示」がない、という理由で慰謝料請求権の相続が否定されてしまうというのも、極めて不合理な結論です。

昭和42年判決は、被相続人が亡くなる前に何も言っていなかったとしても、被相続人の慰謝料請求権は相続人に相続される、と判断したことに意義があります。

4 相続の対象にならない「被相続人の一身に専属したもの」とは

以上のとおり、交通事故により生じた慰謝料請求権については、「単純な金銭債権」であるとして、相続の対象になると判断されました。

では、他のあらゆる慰謝料請求権についても、「単純な金銭債権」として良いのでしょうか。

この点について、昭和42年判決はあくまで「死亡事故の場合の慰謝料請求権」について判断したものであって、慰謝料請求権の種類に応じて、何は相続されて、何は相続されないのか、明確な判断は示していません。

「2 昭和42年判決の概要」で挙げた4つの理由のうち、①②はすべての慰謝料請求権について共通する理由ですが、③④は、被相続人が他人に生命を侵害されて死亡に至ったという、死亡事故の場合の慰謝料請求権固有の理由として挙げられており、生命侵害以外の慰謝料請求権には妥当しません。

たとえば、被相続人が、亡くなる直前に配偶者の不貞が原因で離婚していた場合、元配偶者やその不貞相手に対する慰謝料も、相続の対象となるのでしょうか。昭和42年判決では、慰謝料の種類を特に限定していないように読めるので、相続の対象となるように思われます。

ただ、死亡事故の慰謝料と違って、誰でも請求しただろう、とは言い難い面もありますし、金額も、ある程度の相場はありますが、交通事故の慰謝料のように定型的に算出できるものでもありませんので、同列に扱って良いかどうかは、疑問が残るところです。

ですので、不貞慰謝料については、当然には昭和42年判決の射程は及ばず、相続の対象にならない、という結論もあり得るものと思われます。

もちろん、被相続人が生前に不貞慰謝料を請求し、既に金額が決まっていたのであれば、「単なる金銭債権」と言えますので、この場合は問題なく相続性が認められます。

その他、相続の対象とならない「被相続人の一身に専属するもの」としては、会員規約に「会員が死亡したときにはその資格を失う」と規定されているゴルフクラブの会員の地位(最高裁昭和53年6月16日判決)、生活保護法上の生活保護受給権(最高裁昭和42年5月24日判決)、弁護士や税理士といった職業資格などが挙げられます。

相続の対象になるかどうか、ご判断の難しい被相続人の権利がある場合には、お気軽にご相談いただければと思います。

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